朱に交われば赤くなる、白に戻るのは大変だという映画。信頼をなくした物の結末はこうなるに違いないというお話。ニューヨークの地下鉄関連会社の汚職という実話を基にしているとのこと。友達を信頼して行動をともにした男が、殺人の罪を着せられ逃亡するが、信頼していた人々にことごとく裏切られ、勇気をふるって自首して真実を語る。久々のジェームズ・カーンの貫禄とフェイ・ダナウェイの枯れぶりに隔世を感じた。音楽のハワード・ショアは、この手の暗めのシリアスなジャンルになくてはならない存在になってきたのでは。前半で、どうしてこんな行動をとるのかがちょっと考えられなかった。責任としては当然の行動を描いた映画でした。
豆はやや小さめでばらつきがある。苦みと甘みの中にちょっとした酸味。のどに残るミディアムボディ。
原色ギラギラのカラフルな映像と60年代アメリカのファッション、なんといっても楽しくリズミカルな音楽。ボルティモアのヘアスプレー会社提供のローカルテレビ局の若者向け音楽番組。太った音楽・ダンス好きの女の子がレギュラーになったことから、人種偏見色濃い番組から差別が撤廃されるお話。最初は最後まで耐えられるかと思ったが、素晴らしい歌唱力の音楽にあっという間に引き込まれる。60年代テイストを今のノリに加えた音楽が何とも懐かしく新鮮。ルックスだけのアイドルが多い日本とは大違い。アメリカの懐の深さを思い知らされる。また、クリストファー・ウォーケンの枯れた親父。寄り眼の気持ち悪いジョン・トラボルタの太ったおばちゃん。ギスギス悪女女のミシェル・ファイファーなどちょっと変わったキャラクターに笑ってしまうのです。音楽が誰かと思いきやマーク・シャイマン、キレとノリのいい音楽に60年代のムーディなスコアを加えて楽しさ満点。ジェームズ・マースデンが60年代の雰囲気を最も出していた。人種差別をテーマにしているが全く暗くないのもいい。時間がたつのを忘れてしまいました。意外にも☆
さわやかで雅な1楽章に始まり、推進力と威厳を持った第5楽章まで、ハイドンならではの創意工夫が感じられる。モーツァルトのごとく自然さそのものではない。オヤッと思わせるところが散見される。通奏低音とピリオド楽器が古風な感じ。ティンパニーで格調が表出され、ホルンや管楽器は達者だ。残響の多い会場で小編成オケらしい爽やかで優れたアンサンブルが心地よい。しかし、各楽章の中間部では短調に展開が比較的長く続きちょっとだれる。終楽章で調音をしているかのような驚かされる表現がニックネームの由来か。いい演奏で楽しませてもらいました。(約24分)(Radio4)
1.Adagio - Allegro di molto
2.Andante
3.Menuetto - Trio
4.Presto
5.Adagio (di Lamentatione)
6.Finale: Prestissimo
1.充実感と軽みが共存する。アンサンブルのよさで緊張感が心地よい。2.引きずるような重い歩みの中に高まる悲しい気分。やがて、暖かさが顔を出すが、重く悲しみに包まれる。遅めのテンポで量感を持って描く。やや情に傾いた演奏だ。3.勇壮でエネルギッシュで、自然や狩りのテイストを持ち、激しいほどの表現だ。4.堂々として勢いを持った第1主題、抒情的な第2主題、フーガ的に展開。田園風の叙情性に悲しみが現れ、その中から力強く立ち直る。フィナーレはテンポを落とすため、緊張感が弱まった。(Live! at the concertgebouw)
1.Allegro con brio
2.Marcia funebre: Adagio assai
3.Scherzo: Allegro vivace
4.Finale: Allegro molto
誠にありがたいこってございまして、一生懸命おしゃべりをいたします。早いもんで今日が六日目でございます。今日だけお越しいただいた方もあるわけでございますが、六日間ずっとお越しいただいた方もあるわけでございます。−−ご隠居さんが亡くなり、町内の者が手伝い。二人が受付をしていると、次々に悔やみにくる。炭屋は商売物の宣伝になるし、また、最上屋のおなごしさんは馬鹿丁寧。手伝いの又はん。悔やみが女房ののろけに変わり、二人は唖然。あげく「今時分、内のかか、家でようじっとしとらんと思いまんねん。ちょっともはよ顔見せて、安心させたりま。さいなら、ごめん」「え〜、なんとも、えげつのないのろけやな」−−おなじみの「くやみ」というばかばかしい・・
マクラは独演会での心情、挨拶、特にお悔やみについて。マクラは相変わらず、素晴らしくおもしろい。本編ではくやみの失敗を過度に膨らませて、それを受ける人たちの登場が少なく、バランスを崩していて、いつもの爆笑に今一歩及ばなかったように感じた。大好きな噺家なのであえて分析してみているが、並の噺家のレベルではないので誤解なきよう。
続いて聞いていただくわけでございますが、もう、ほとんどブームというより、定着いたしましたのが、カラオケというやつでございますが、皆様もそれぞれにお歌いになるのやないかと思いますね。−−下手な浄瑠璃を人に語って聞かせることが趣味の旦那、今日も浄瑠璃の会を計画するが、長屋の者も奉公人も、理由をつけて誰一人来ない。怒った旦那は、店立て、暇を出すと無茶を言い始める。気の利く奉公人が、皆を集めて、会が開催される。渋々、集まった人たちは旦那の浄瑠璃のひどさを話しながら待つ。昔、旦那の浄瑠璃を聞いて倒れて他界した玉子屋さんの話になる。「半年ほどして死んでしまいましたな。あんまり不思議なちゅうんで、大学の病院で解剖してもらいましたら、玉子屋さんの胸から、こんな大きな浄瑠璃の塊が出てまいりました」−−おなじみの寝床浄瑠璃でございます。
マクラはカラオケ、浄瑠璃について。相変わらず旦那が憎めない可愛らしいキャラクターなのはいい。しかし、久七の旦那との会話が、煮詰まってない感じ。皆が嫌っていることを台詞に含んでいるのだが不自然で、思ったほど笑いが出ていない。しかし、おもしろいことには間違いない。クスグリを発展させ爆笑を誘っている。そのため、本来の筋が弱くなっているのが相変わらず残念。
自家焙煎:豆は標準的。甘い酸味とまろやかな苦味。ミディアムボディで飲みやすい。若干、角がある。
兄弟ピアノデュオのファビュラス・ベイカー・ボーイズ。ドサさ周りで、ホテルの客の少ないラウンジで毎日同じことの繰り返し。兄が必死に仕事をとってくる。女性ボーカルを加えることにして、人気が出る前半。それぞれの生き様を深く描いた後半は、苦しい人生のすきでもない仕事の抑圧から、飛び出していく。しかし、前途がどうなるのかはわからない。おしまい。デイブ・フルーシンの音楽はスタンダードの名曲をちりばめながらソフィスケイトされたアレンジで都会派のスコア。前編同じ意タイプの曲だが、後半は寂しく感じるほどの、人生の苦しさ、生きることの大変さが映像になっている。人生は大変なのだ。ラストをどう感じるかは観客しだいだろう。拙は暗く感じたゾイ。今の拙にはちょっと寂しすぎた。
ピアノの才能をはじめ天才をもって生まれ、母からの過度の期待と周囲の特別な視線。自由人の祖父の影響から、天才を失ったふりをする。優しい父親の会社での苦境を知り、秘密裏に祖父と株取引を始め、父を社長にする。さらには、ピアノの練習も続け、母の望みであったピアニストとしてのデビューも果たす。めでたし、めでたし。
主人公があまりに天才に描かれ過ぎていて、途中から鼻につく存在になるのだが、両親たちへの優しさと、信じられない成功に打ち消される。できすぎのストーリーだが、ハッピーエンドに悪い気はしない。☆
豆はやや小さめできれい。抽出液はやや濃いめ。甘い香りで、やや刺激的で鋭角な苦みに甘みが加わっている。酸味はほのか。のどに残るフル・ボディ。
高知。遊郭陽暉楼の芸子と女衒の話。女を売り買いする女衒の女への絶対的ないたわりと、欲望に女を翻弄する男たち。彼女たちの幸せのため男の面子で行動する女衒が結局女を不幸にする。非日常的な重厚で粘着質の世界の生々しさに打ちのめされそうになる。女同士の妖艶で激しい喧嘩のシーンでは、心拍数が上がって目をそらしたくなった。しかし、この手の映画にも耐えられるようになった自分の変化に驚いている。佐藤勝の音楽が世俗風なテーマを日本的な味付けで印象的なスコアにして、映画の雰囲気作りに貢献していた。いい仕事でした。男優把握のある人ばかりでした。小池朝男が出ていて懐かしかった。重暗くねっとりとして汗臭い映画でした。
悠々とほの暗いロマンティックな流れ、湧き上がるような感情の高まり。悠々とした足取りのオーソドックスな演奏。豊かな低音と絹のようなvn、それにシンバルや管がクリアな輪郭を持って加わり、色彩感を放ちながら堂々とした盛り上がりを築く。オーソドックスで美しい演奏でした。(約14分)(Live! at the concertgebouw)
え〜、相変わらずのお笑いでございます。何事によらず、陰気陽気って〜ものがございますもので、御宗旨にも陰陽がございます。−−念仏をあげながら、気がついたことで片っ端から小言を言う亭主。仏壇から始まって、学校へ行く子供、朝食の汁の具まで及び、どじょうを具にすることにして、どじょうを鍋に入れ酒を加えて火にかけさせる。「ごとごといってるな。苦しがってるな。おもしろいな。南無阿弥陀部、南無阿弥陀部。静かになったな〜、蓋開けてみろよ。腹を出してみんな死んじゃった?ざま〜みやがれ。南無阿弥陀、南無阿弥陀」−−何にもなりません。小言念仏というお話でございます。
マクラは信心と宗旨の小咄あれこれ。細かいことに気がつく主人公のいらち傾向のキャラクターが、次々に繰り出す小言がおかしさを誘う。この話が十八番の当代小三治師のとぼけた判事のキャラクターとは正反対。これがまたおもしろい。一気に進めるすがすがしさがある。
え〜、「カタカナに“ト”の字の一の引きようで、上になったり、下になったり」、カタカナのトの字の上に一を引くと、「下」という字です。下に一を引くと反対に上という字になります。−−野駆けに出て目黒で、農家の焼いていた旬のサンマを初めて食べて気に入った殿様が、園遊会に出席した際、食べたいものを尋ねられ、サンマを求める。銚子のサンマを上品に料理するが、まずいので、どこから取り寄せたと問えば「魚は銚子の沖の本場にござります」「なに、これが銚子じゃ。それでいかん、サンマは目黒に限るぞ」
マクラは華族様が下々のものを知らないことの小咄あれこれ。うんちくによって密度の濃いマクラによって、噺の背景がよくわかる。キレよく張りのある声で殿様の威厳がよく出ている。まことに晴れ晴れとして竹を割ったようの明快さの仕上がりで、聞いていて気持ちがいい。
大阪、京都、奈良、兵庫などの地名にちなんだ噺を紹介している。これまでに聞いた話でも舞台がどこかはっきりと理解していないものが多かったが、具体的な地図で示され、付随情報を知ると、同じ噺が数段リアリティを持った感じだ。語り調の表現で、すいすい読み進むことが出来ました。(講談社文庫)
涙と重い映画だ。女流画家、上村松園の半生。「序の舞」は彼女の代表作で重要文化財。フィクションだそうだ。師匠に肉体関係を迫られ、子供を里子に出してから、悲しくも辛い人生。彼女の作品を節目節目に重ねていく。京都の町屋をはじめ、明治の雰囲気がよく出ていた。映画は涙の連続だが、拙は、なんたることだと重いため息が出る。最近、こんな重量感のある映画はなくなった。役者もも貫禄がある。皆、一癖も二癖もある。みんなと違う生き方をした女性の物語。歳のせいか、この手の映画が受け入れられるようになってきた。現代的な音楽だと思ったら、黛敏郎のスコアだった。リッチだが重〜い映画でした。
自家焙煎:豆はやや小さめ。酸味と苦みと甘みがバランスいい。コーヒーらしい香ばしさも口に残る。おいしい。
悪魔に魂を打って7つの願いをするコメディ。さえない男がなりたい人物像を願う。デフォルメされたキャラクターがおもしろい。笑わせてくれる。笑っちゃいました。特殊メイクで、らしい雰囲気を作っている。それぞれのキャラクターの落ちもやっぱりといった感じ。全体としては、人にとって大切なこと、それは自分に誠実で他人に尽くすことである、といったよくある話。デヴィッド・ニューマンの音楽はノリノリ。ブレンダン・フレイザーの濃い顔が様々に変わるのがおもしろく、次はどうなるのか期待する。その期待に応えました。しかし、ラストは、やっぱりといった感じ。笑って笑ってハッピーエンド。気分が晴れる映画でした。
豆は標準的できれいな印象。抽出液はやや薄く赤みがかる。ややとげのある苦みとかすかな甘み。意外とあっさりしている。
貧しい村の口減らしのお話。60歳になると蕨の里なる山奥で人生の最後を迎えることになる掟。その里での老人たちの最後、一人一人亡くなっていく姿を描く。生への欲望、生きることの辛さ、そして、死して開放されることの肯定。他の道を探りたくなるが、これも一つの道。じっくりと時間をかけて描いており、後半部は早くとばしたくなるほど。猿谷紀郎の素朴で叙情的な音楽と対照的な映像が侘びしさ、はかなさが画面から溢れさせていた。辛いな〜と言った映画でした。
母のロレーンが死んだと聞いて、家を出ていた娘パーシーが帰ってくる。そこには元大学教授で今はアルコール依存症のボビーと作家志望で、これまた依存症のローソンとが暮らしていた。家はロレーンが三人に残したと聞いて、仕方なくパーシーは2人と暮らすようになる。2人は義務教育を中退していたパーシーを学校に行かせることにする。3人は次第にうち解けていくが、パーシーの元恋人がやってきて、ロレーンは家をパーシーだけに残したことを知らせ、彼女は2人を追い出す。母の遺品を見ていたパーシー、彼女への手紙を見つけて読むと、ボビーが父親であること、どんなに愛していたかをを知る。パーシーはボビーを受け入れる。パーシーは大学へ進学することになり、ボビーたちはお祝いをした後、ボビーは他界する。
アメリカは広い。田舎のくすんだ街の下層階級。トラボルタにこの役は似合わない。太ってはいるが声が大変に若い。違和感がある。もっと癖のある役が似合うと思った。愛情を描いているが、最下層で悲劇的で、ちょっと暗い気分の映画でした。
濃厚でほの暗いロマンティシズムの1楽章、牧歌風の暖かい伸びやかな第2楽章。なかなかのアンサンブルで、演奏はかなり緩急のゆれを持つ。叙情的な部分ではゆったりと、コーダでは熱く燃えるように、この指揮者の指向性に見事に反応している。なかなかのオケだ。クリアーな資質を感じるオケが、濃厚でねばく熱い表現をしている。3.速めのテンポで進め、陽で喜びのエネルギーを噴出させる3楽章。暗く重く悲しい情が激しく盛り上がっていく終楽章。緊張感とエネルギーが聴衆を高揚させる。ホールの残響や音場を捉えている。クラシック音楽の演奏後の聴衆の反応としては尋常じゃない熱狂ぶりだ。熱い演奏でした。(BBCProms)
1.Allegro non troppo
2.Andante moderato
3.Allegro giocoso
4.Allegro energico e passionato
え〜、ご機嫌よろしゅうございます。相変わらずのお笑いでございます。「情けは人のためならず」ということわざがございます。人に情けをかけるなんというのは、神信心でもしようというような年頃にならないと起こりません。−−佃島の住吉様のお祭りに出かけたお店の旦那の次郎兵衛。しまい船に乗り込もうとすると、一人の女が引き留める。おかげで、しまい船に乗り遅れてしまう。女は三年前に吾妻橋身投げをしようとしたところを、次郎兵衛さんに五両をもらって助けてもらったとのこと。ご亭主が船頭なので、いつでもお送りするというので、女の家におじゃまになる。あたりが騒がしくなってくる。亭主が戻ってくる。仕舞い船がひっくり返り助かったものはいないとのこと。夫婦は次郎兵衛にお礼を言ってご馳走をして、船を出して送っていく。一方、お店では仕舞い船で次郎兵衛が亡くなったと大騒ぎ、長屋の月番の与太郎も悔やみに行くがうまくいかない。そうしているうちに、次郎兵衛が帰ってくる。皆驚くが、訳を聞いて、大笑いで帰って行く。この話を横で聞いていた与太郎、いいことをすれば助けられると思いこみ、家に帰って道具箱を打って五両の金を作り、身投げを探して歩くが出くわさない。永代橋にかかると涙をためた三十、二三のお上さんが欄干に上がって片手合掌で川の中を見ている。身投げと思って止めに入った与太郎。女は「冗談いっちゃいけませんよ。歯が痛いから、戸隠様に願をかけてんだ」「袂に石が入ってりゃ」「こりゃ、納める梨でございます」
マクラは信心、虫歯の神様の戸隠さまと梨について。立て板に水の威勢のいい語り。うんちくで溢れるマクラ、無駄ない筋立てと巧みな声による見事な人物描写。立派な口演でわかりやすいが、拙にとっては堅すぎる。
東京が江戸と申しました時分の名物が「武士鰹、大名小路生鰯、茶店紫、火消錦絵、その付け足りに、火事に喧嘩に中っ腹、伊勢屋 稲荷に犬の糞」汚ねえ物が名物のうちに入ってます。−−両国の花火の当日、広小路の方から侍が馬上でやってくる。反対、本所方から渡ってきたのがたがや。大勢で、ぶつかりながらやってくるが、道具箱を落としたことから、たががはじけて、馬上の殿様の笠をとばした。無礼者と屋敷へ来るようにとの言葉に、たがやは、家で年老いた両親が待っているからと謝って許しを請うが、どんなに謝っても侍は聞き入れない。たがやは開き直り殿様を愚弄するような啖呵を切る。手討ちにするように家来に命じるが、刀の手入れがしていない。斬りつけてきた侍の腕をうけ、噛みついて刀をとると逆に斬ってしまう。馬から降りて槍を持った殿様が突いてきたところ、体を交わし、槍の先を切り落とす。−−刀の柄に手をかかると、たがやさんも死にものぐるいです。手元へくり込んでいって、「え〜い」横に払ったやつ、弾みがつきまして、殿様の首が空中へ「すぽ〜ん」と上がると、見物一同が「たがや〜」
マクラは江戸の名物、花火の褒め方などのについて。立て板に水でとても早口だ。講談調の型で、無駄なく推進力があり、あっという間に終わってしまう。低い男っぽい声でシャープな切れ味。あまりに早すぎて集中を要求されるようだ。クスグリも少なく、ちょっと物足りない気分だ。
函館に住む中学生の太郎は野球好き。鼻血を何回も出して病院へ、血液検査の結果が悪くて入院することになる。憂鬱な病院生活。ある時、昼に音楽が流れてくるスピーカーの線をたどっていくと、立派なオーディオ装置と大量のレコード、大先生の部屋だった。そこで、いつも聞いている「ミュージックエクスプレスの」DJのまねをする。大先生がそれを聞いており、昼の時間にDJを流すことになる。病院の中のDJで患者やスタッフの心は明るくなる。太郎は交通事故で入院していた1歳年上のたまきを好きになる。太郎の容態は悪くなる。白血病であることを知っている太郎。先に退院して見舞いに来たたまきと外出し映画を見て、山に登るが雨に遭い一夜を過ごす。翌日倒れた太郎はICUの措置を。病院の人たちへの思いをさいごのDJで語る。これまで、どうしてもたまきへの思いを打ち明けられなかった太郎だったが、とうとう、勇気を持って打ち明ける。太郎をはけますために、たまきが太郎にリクエストした曲は「年下の男の子」。しかし、その夜、太郎は他界する。成長して、ラジオプロデューサーになったたまきは、自分の番組で往年の番組「ミュージックエクスプレス」を再開し、最初のリクエストに「年下の男の子」をかける。
子供と白血病。これまでも多くの映画が作られた。やっぱり、心を動かされた。特に、拙が主人公と同年代の頃の物語だけに、感情移入がスムーズだった。さらに、最近、失った家族のことを思い出して涙したので星となった。佐藤直紀の音楽も叙情的で、懐かしい曲を配置していた。☆
ニューヨークに入国したチェコとロシアの犯罪者が、仲間に会い分け前を要求するが使われておりカットして殺して放火しまう。その後、精神異常の犯罪者が出所しテレビに出ているのを見て、自分たちの犯罪をビデオに残して、それをメディアに売り、精神異常でいつか出所しようという計画にする。一方、殺人課のベテラン刑事エディはメディアに顔をうって有名人。消防署の放火捜査官ジョーディは彼と捜査をともにする。型破りだが、実力と面倒見のいいエディを慕うようになる。チェコの犯人はエディを殺し、精神異常を装い、ビデオの撮影をしていたロシア人からの命令だというとにして、うまく運ぶように見えた。入廷の日、ロシア人が彼の正常を証明するビデオをテレビに提供し、それがもとで銃撃戦となり犯人たちは死んでしまう。この事件のきっかけとなったメディアは今日も、犯罪を放送する。
ストーリーに要点を強調することは当たり前だが、デフォルメが効き過ぎた。犯人がコメディっぽくなり、緊張感が弱くなった。デ・ニーロの貫禄がなかったら、もっと弱くなっていた。残念。音楽はアンソニー・マリネッリ。気の抜けかかったサイダーになった。
自家焙煎:豆はバラツキがあり、丸味があるものが多い。蒸らしでは泡が白く小さい、焼きが足りなかったのか。甘くマイルドな苦み。飲みやすさが特徴。
重病で病の床につくアン。二人の娘が見舞いに来ている。アンは若き日をも出す。親友のライラの結婚式にやってくる。そこで、ライラの弟バディに紹介されライラの憧れだったハリスに会う。アンはハリスに惹かれ、バディの告白を拒否。バディは泥酔状態で結婚式の行事、海の飛び込みを行い死亡。そのまま、アンとハリスは別れる。三人はそれぞれの人生を歩むが、結婚式に集まった若き日の思いを心に抱き続けていたのだった。アンは娘を勇気づけて、息を引き取るのだった。
人生は辛い。思うようにはいかない。しかし、それが人生。皆、多くの辛さと、それなりの幸せを感じて生きている。何とも悲しい色に染まった映画。若き日の想い出も苦いもの。内省的な静けさが支配している。テンションは下がったまま。音楽はヤン・A・P・カチュマレク、美しく静かなスコア、演奏はポーランド放送管弦楽団。バネッサ・レッドグレーブ、グレン・クローズ、メリル・ストリープの実力派の出演で持っている映画。ブルーな気持ちになる映画でした。
豆は、やや小さめでかわいくきれいな印象。抽出液はやや標準。甘苦く香ばしい印象。ミディアムボディ。
1.大変、速めのテンポで開始。怒りすら感じるような表情。緩徐主題はゆっくり。主題間のメリハリが強い。盛り上がりでの推進力は強い。2.速めのテンポでリズム感よく軽やか。3.重量感と叙情性が共存。4.エネルギー感と推進力の中に情感がある。
爽やかな音色のvnと音量のある低音。アンサンブルは並だが、ダイナミックレンジが広く、テンポを変えて緊張感が強く、なかなか聞かせる。(Bartok)
1.Allegro vivace e con brio
2.Scherzando: Allegretto
3.Tempo di Menuetto
4.Allegro vivace
クリアー弦のオケと、ややくすんだ響きで甘い音色のpが独特の雰囲気。明るくチャーミングで爽やかな第1楽章、優雅な第2楽章、雅で且つ華やかな終楽章、総じて爽やかで優雅な曲で楽しめました。ダイナミックレンジが広く、空間の広さを感じさせる録音もなかなか。音楽を楽しめる演奏でした。(Bartok)
1.Allegro
2.Adagio
3.Rondo : Tempo di Minuetto
1.美しくも暗めで憂いのある雰囲気。気分は沈み高まり、ダイナミックなレンジを持って進み、クライマックスを築く。2.幻想的で美しいワルツ。
標準的なテンポを基本に表情にあわせてテンポを自然に揺らせる。見通しよく実に丁寧で表情豊かな演奏の結果だ。オケのアンサンブルもなかなか優秀で、各声部がクリアー、低音部も豊か。クライマックスの盛り上がりも十分だ。知情のバランスが取れた演奏だ。3.広々とした野の中にいるような感じで、牧歌的でもあり、美しい。後半部では不安な重さが現れる。4.ゆったりとしたテンポで重く厚く進めていく。管みみの荒々しいエネルギーが耳につく。重低音の渦が巻く。5.チューブラベルとファゴットの大きな音がやたらと耳につく、おどろおどろしい雰囲気でテンポをかなり揺らす。終盤、アッチェレラントとクレシェンとをかけて怒涛のフィナーレを築く。後半部はロシアのオケかと思うような力強い管が特徴だ。演奏は上に傾き、圧倒的なスケール間を持つ。前半部の抑制から解放された感じですごい迫力。血圧が上がる。歌舞伎のようなデフォルメ的な見栄を感じさせる演奏スタイルだ。知から情へシフトする。迫力に打ちのめされて聞き応えはあるが、荒く感じてしまう。なかなか珍しい演奏スタイルの指揮者だ。姿に似ずワイルドな指揮者でした。(BBCProms2008)
1.「夢、情熱」 (Rêveries, Passions)
2.「舞踏会」 (Un bal)
3.「野の風景」 (Scène aux champs)
4.「断頭台への行進」 (Marche au supplice)
5.「サバトの夜の夢」 (Songe d'une nuit du Sabbat)
今日はさっきもちょっと聞いていただきましたけど、その田楽という噺。近頃では関西でもおでんといえば、煮込みのおでんになりまして、昔は、あれ、関東炊きと言うたんですな。−−山権と暖簾のある商家の前へ味噌樽を二つ背負った馬をつないだ馬方、中へ入っていく。表には近所の子供が遊んでおり、馬の腹の下をくぐる遊びをしようと言うことになったが、ある子供が引くに引けなくなって尻尾の毛を抜くことになる。五本もいっぺんに抜いたものだから馬は驚いて、縄が緩んで逃げていってしまう。家を間違えていたことがわかった馬方が出てくると、馬がいない。子供に聞くと逃げていったというので後を追うが姿が見えない。通りで酔っぱらいが来たので味噌樽を積んだ馬のことを聞くと「何?」「味噌つけた馬ご存じおまへんか?と言ってまんねや」「何を言うのじゃ、こいつ。わしゃ、この歳になるが、馬の田楽は見たことないわい」
マクラは田楽とおでん、昔の荷物の運搬についてマクラの興味深さと子供とのやりとりでのクスグリで結構笑えるが、たわいもない噺で、今では下げもわかりにくくなってしまっているのでちょっと引いてしまう。
今年は、まことに時候が不純でございまして、も〜おかしいですな、冬がはように終わってしもうて、桜がいつもより二十日ほども、はよ散ってしまうとか、え〜、また、暑いんですわね。−−お店に親類が集まって内密の相談。気になった若旦那は、丁稚の定吉から自分の身の処遇についての相談で、遊びすぎるのは金のありがたさがわからないからで乞食を経験させることになったという。かっとなった若旦那、皆の前で怒りを爆発させ、乞食にしろと啖呵を切る。待ってましたとばかり番頭が本当に乞食にしようとするので、容赦してもらおうとすると蔵に百日間閉じこめられることになる。実は若旦那、芸子の小糸に一目惚れ、周りが見えなくなってしまっていたのだった。蔵に入ってすぐに若旦那に手紙が来るが、番頭が取り次がなかった。一日に何通もの手紙がきていたが、八十日目で来なくなった。そして、とうとう、百日がたち、若旦那は晴れて自由の身になる。番頭が手紙のことを話し、若旦那は一番上にのっていた手紙を読む。その後で、蔵の中で天満の天神さんに願掛けをしていたので、すぐにお礼に行くといって出かける。小糸に会いに行ったのだが、手紙の返事をくれない若旦那のことを思い続け、絶望で衰弱し死んでしまったのだ。仏壇には若旦那が贈った三味線、ひとりでに音を奏でる。小糸が弾いているとのこと。しかし、途中で止んでしまう。若旦那はもっと効かせるように頼むが、「若旦那、もうなんぼ言うても、小糸、三味線弾かしませんわ」「なんでやねん」「お仏壇の線香が、ちょうどたちきりました」
マクラは暑さも忘れさせる名人芸、線香での花代を勘定について。いつもながらの上品できちっとした語り口。クスグリもほどよく効いている。暖かい人情噺で、いい余韻が残って、続きました。
幕末、将軍の影武者を役ととする武家。貧乏で借金で首が回らない。長男はいい加減、次男彦四郎は富裕な侍の娘と結婚したが離縁され、実家に帰っていた。ある日、運が上がるようにと思ったが、間違えて三巡神社に手を合わしたことから、貧乏神、疫病神、死神に順に憑かれることとなる。しかし、神たちは彦四郎の人間性に影響される。時は幕府軍は敗戦を重ねていた。彦四郎は神に憑かれて、生き方と死を考えるようになり、死んでいった幕府軍の侍たちの誇りを守るため、上野寛永寺から逃げていった将軍慶喜の下武者となり死んでいく。
言いたいことは十分に伝わる。憑神の最後、死に神が子供だったこと、神としての深さに欠けたところがマイナスとなった。音楽はメイナシーオー。前半部の憑神様には笑わせてもらいました。
自家焙煎:豆は大変大きく、焙煎時にあぶらの湧出は早い。抽出液は赤身かかって薄い印象。酸味と甘さが特徴。ライトボディで飲みやすい。
人間には誰もが分身ともいえるダイモンという動物がついている。寄宿舎で暮らす孤児のライラ。街では子供が連れ去られている。教権という既存権力は宇宙を支配しようという企み。子供をからダイモンを分離する実験をしていた。ライラは学寮長から真実を示すし今では選ばれたものしか読み取ることの出来ない真理計を託され、子供たちを救う冒険に出る。魔女や熊、ヴァイキングのような民族と協力して、子供の救出に成功する。さらに、教権の野望を阻止する旅が始まる。
おとぎ話だ。ファンタジーで詳細はどうでもよい。本ではいくらでも想像できる。その映像化はリッチさが求められる。この映画は特撮を駆使して大人でも納得できるなかなかの映像を創り上げている。冒険は成就することはわかっているのでテンポよく変に深みを追求せずに割り切っているのがいい。重厚な映像で、ただはらはらどきどき、楽しい時間を過ごしました。アレクサンドル・デプラの音楽はメロディアスで重厚なスコアでした。
豆は標準的でややバラツキがある。旨みが強くマイルドな仕上がりでコクを感じた。
ルワンダ共和国のキリスト教の技術専門学校に教師として赴任しているイギリス青年。恵まれた子供時代を送ったので、恩返しをしようと思ってのこと。フツ族とツチ族とが長年に渡る部族間の争いをの続いていたルワンダには国連治安維持軍が駐留しており学校にはベルギー軍がいた。ある日、ルワンダ共和国の大統領が暗殺され、フツ族によるツチ族の抹殺が始まった。民兵がナタや斧でツチ族の無差別に虐殺していった。学校にはツチ族が避難してきた。教師は虐殺を目のあたりにしてショックを受ける。さらに、学校にいた親しいフツ族が虐殺をしている。大勢のツチ族の生徒がいた学校、何とか虐殺から救ってやりたいと気持ちははやる。国連治安維持軍は撤退することになる。教師は生徒を残して避難をする。神父は一人学校に残って、子供を逃がすために犠牲となる。虐殺を免れた教え子の一人が、イギリスに帰っていた教師を訪ねる。教師は死ぬのが怖かったと打ち明ける。
虐殺を逃れた人々の協力で制作された実話だが、人間がここまでの虐殺行為をするとはなかなか理解できない。民族間の長い歴史によるものだろうが、映画ではそれはわからない。人道主義から入った人たちの無力さと、究極の状態に追い込まれた時にとった利己主義的な行為。悩ましい問題だ。国際的な介入には究極の責任を負う義務があることを訴えているように思う。事実の再現の中に強いメッセージが込められており、うなってしまいました。ダリオ・マリアネッリの音楽は映画にふさわしい。基本的にこの手の映画は苦手だが、考えることに引きつけられっぱなしだった。☆
1.チャーミングなvnに続く、壮大な海の波を連想させる雰囲気の主題が展開。広さと水を感じる。2.叙情的で暖かい主題から始まり、勇壮な戦闘を連想させるなど、様々な変化に富む楽章。3.暖かく幸せで平和な雰囲気、舞曲の明るさが続く。全曲を通じてチャーミングな楽章。4.絢爛豪華で異国情緒が濃厚。嵐と難破の描写は重量級。
ゆったりと始まり、かなりテンポを揺らせる。楽器群による実力の差があり、結果的にアンサンブルがゆるくなっている。手綱がゆるんだ演奏の印象。ソロvnが調子が悪いのか下手なのには閉口する。情に傾いた演奏だが、もっとしっかりしてほしいゾイ。(BBCProms2008)
1.海とシンドバッドの船
2.カランダール王子の物語
3.若い王子と王女
4.バグダッドの祭り。海。船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲