女房のお峰にそそのかされたので、伴蔵が幽霊のお露、お米に向かって、百両の無心をした。明晩必ず持って参りますから、どうぞ。私どもの言ったとおり、旦那様の体から金無垢の御尊像を取り除いて、お札をはがしてくださいまし、約束をした。−−荻原新三郎の孫店にすむ伴蔵は、幽霊の願いを聞き入れ、新三郎から海音如来の御尊蔵をだまし取り、出入り口に貼っていたお札をはがし、礼として百両を手に入れた。新三郎は礼に憑かれて死亡。伴蔵は故郷の栗橋に帰り、関口屋という荒物屋を始めた。伴蔵が浮気をしていることを女房のお峰が知り、新三郎への仕打ちを話して脅す。伴蔵は二人で再出発しようとお峰をだまし、幸手堤で殺してしまう。−−幸手堤の殺しでございます。
マクラはなし。正統派の人情噺の語りで、淡々と無駄なく進めていく。過不足のない楷書の演出で、まとまりもよく聞きやすい。
誠にありがたいこってございまして、一生懸命おしゃべりをいたします。早いもんで今日が六日目でございます。今日だけお越しいただいた方もあるわけでございますが、六日間ずっとお越しいただいた方もあるわけでございます。−−ご隠居さんが亡くなり、町内の者が手伝い。二人が受付をしていると、次々に悔やみにくる。炭屋は商売物の宣伝になるし、また、最上屋のおなごしさんは馬鹿丁寧。手伝いの又はん。悔やみが女房ののろけに変わり、二人は唖然。あげく「今時分、内のかか、家でようじっとしとらんと思いまんねん。ちょっともはよ顔見せて、安心させたりま。さいなら、ごめん」「え〜、なんとも、えげつのないのろけやな」−−おなじみの「くやみ」というばかばかしい・・
マクラは独演会での心情、挨拶、特にお悔やみについて。マクラは相変わらず、素晴らしくおもしろい。本編ではくやみの失敗を過度に膨らませて、それを受ける人たちの登場が少なく、バランスを崩していて、いつもの爆笑に今一歩及ばなかったように感じた。大好きな噺家なのであえて分析してみているが、並の噺家のレベルではないので誤解なきよう。
続いて聞いていただくわけでございますが、もう、ほとんどブームというより、定着いたしましたのが、カラオケというやつでございますが、皆様もそれぞれにお歌いになるのやないかと思いますね。−−下手な浄瑠璃を人に語って聞かせることが趣味の旦那、今日も浄瑠璃の会を計画するが、長屋の者も奉公人も、理由をつけて誰一人来ない。怒った旦那は、店立て、暇を出すと無茶を言い始める。気の利く奉公人が、皆を集めて、会が開催される。渋々、集まった人たちは旦那の浄瑠璃のひどさを話しながら待つ。昔、旦那の浄瑠璃を聞いて倒れて他界した玉子屋さんの話になる。「半年ほどして死んでしまいましたな。あんまり不思議なちゅうんで、大学の病院で解剖してもらいましたら、玉子屋さんの胸から、こんな大きな浄瑠璃の塊が出てまいりました」−−おなじみの寝床浄瑠璃でございます。
マクラはカラオケ、浄瑠璃について。相変わらず旦那が憎めない可愛らしいキャラクターなのはいい。しかし、久七の旦那との会話が、煮詰まってない感じ。皆が嫌っていることを台詞に含んでいるのだが不自然で、思ったほど笑いが出ていない。しかし、おもしろいことには間違いない。クスグリを発展させ爆笑を誘っている。そのため、本来の筋が弱くなっているのが相変わらず残念。
え〜、相変わらずのお笑いでございます。何事によらず、陰気陽気って〜ものがございますもので、御宗旨にも陰陽がございます。−−念仏をあげながら、気がついたことで片っ端から小言を言う亭主。仏壇から始まって、学校へ行く子供、朝食の汁の具まで及び、どじょうを具にすることにして、どじょうを鍋に入れ酒を加えて火にかけさせる。「ごとごといってるな。苦しがってるな。おもしろいな。南無阿弥陀部、南無阿弥陀部。静かになったな〜、蓋開けてみろよ。腹を出してみんな死んじゃった?ざま〜みやがれ。南無阿弥陀、南無阿弥陀」−−何にもなりません。小言念仏というお話でございます。
マクラは信心と宗旨の小咄あれこれ。細かいことに気がつく主人公のいらち傾向のキャラクターが、次々に繰り出す小言がおかしさを誘う。この話が十八番の当代小三治師のとぼけた判事のキャラクターとは正反対。これがまたおもしろい。一気に進めるすがすがしさがある。
え〜、「カタカナに“ト”の字の一の引きようで、上になったり、下になったり」、カタカナのトの字の上に一を引くと、「下」という字です。下に一を引くと反対に上という字になります。−−野駆けに出て目黒で、農家の焼いていた旬のサンマを初めて食べて気に入った殿様が、園遊会に出席した際、食べたいものを尋ねられ、サンマを求める。銚子のサンマを上品に料理するが、まずいので、どこから取り寄せたと問えば「魚は銚子の沖の本場にござります」「なに、これが銚子じゃ。それでいかん、サンマは目黒に限るぞ」
マクラは華族様が下々のものを知らないことの小咄あれこれ。うんちくによって密度の濃いマクラによって、噺の背景がよくわかる。キレよく張りのある声で殿様の威厳がよく出ている。まことに晴れ晴れとして竹を割ったようの明快さの仕上がりで、聞いていて気持ちがいい。